冬の様子を知りたくて、赤レンガ通信所
これまで、赤レンガ通信所に冬に行ったことは無かったので、建物を管理されている「稚内市歴史・まち研究会」の方にお願いして、ご案内いただきました。
昭和16年12月2日17時、大本営より真珠湾攻撃の暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二○八」が発信された歴史的な建築遺産です。※当時、ここだけでなく他の通信所からも暗号文は発信されたとされています。
正式名は「旧海軍大湊通信隊稚内分遣隊幕別送信所」で、戦後は10年ほどアメリカ軍が駐留していた歴史もあります。
地域の人からは「赤レンガ通信所」と呼ばれていて、見学会などの催しも行われています。
最も古い建物は昭和5~6年の建築のため、90年以上の歳月が経過し、屋根が落ちるなどだいぶ傷んで来ていますが、それもまた歴史の重みを感じさせます。
窓から建物内をのぞくと、空が見える建物の中では、木が枝を伸ばしていました。
冬の赤レンガ通信所は他の季節とは違う趣があり、やはり行ってみて良かったです。
雪が積もっていることで普通より高い場所を歩ける分、窓から中の様子を見やすかったり、木の葉が落葉しているので巨大アンテナの基礎のコンクリート、貯水槽など、敷地全体の見通しが良いという点もありました。
国境のまち・稚内にはいくつかの戦争遺構が残されていますが、ここもまた戦争と平和について考えさせられる重要な場所の一つです。
これまでの「稚内市歴史・まち研究会」の皆さまの活動に敬意を表すると共に、お忙しい中ご案内いただき、感謝申し上げます。